6.子供たちに会いに ~識字学校にて~
2002.07.06●アフガニスタン
アフガニスタンでは内戦が20年以上続き、その後に権力を握ったタリバン政権は、女子が教育を受けることを禁じました。その結果、読み書きができる女の子は全体の20%にも満たず、タリバンが去った今もなお、年齢が上のために小学校には編入できないままの、読み書きのできない女の子が数多くいます。
まず、私が向かったのは、学校に戻れない12歳~20歳程度の、読み書きができない少女たちを対象にしている、S.C.Jが支援するカブール市内にある識字学校(文字を教える学校)でした。
彼女たちは学校に行けるようになったことを心から喜んでいました。
「子供たちに必要なものは学ぶための道具」――そう聞いていた私は、日本から持ってきていた色鉛筆やクレヨン、スケッチブックなどを彼女たちにプレゼントし、それぞれ好きな絵を描いてもらいました。
多くの子供たちは、「必要なものだから」と火の灯った大きなろうそくを描いていました。停電の多いアフガニスタンの家々ではロウソクが主な照明の手段であり、闇を照らす大切な道具なのでした。
そして何人かは花に囲まれた大きな家を描いていました。「これはいつか自分が住みたい夢のおうちなの!」と、彼女たちは目を輝かせて語ってくれました。
子供たちは贈り物を心から喜んでくれていましたが、ひとりの少女(マリヤム・11歳)が描いた絵を見て、私は愕然としました。彼女の絵には色がなかったのです。そこには飛行機から落ちてくる爆弾によって足を失った人、ブルカをかぶった女性に鞭を振り上げている男が冷たい青一色で描かれていました。
「・・・・・これは何?」と聞く私に、マリヤムは無表情で「タリバンがやってきて顔を出した女性をぶったの。たくさんの飛行機がやってきて爆弾を落として、人の足がなくなったの」と答えたのでした。
「・・・・・あなたが見た光景?」
彼女は静かにうなずきました。
こんなに小さいのに、いったいどれ程の辛いことや悲しいことが、この少女の心に焼きついて離れないのでしょうか・・・・・。
色鉛筆や紙が喜ばれる――そう聞いていたのに、逆に子供たちに辛く悲しい記憶を呼び起させてしまった・・・・・。そう考えると涙が出そうになりました。でも、決して泣いてはいけないと私は必死にこらえました。
帰り際、ロケット弾を受け、今も片足を曲げることのできない少女が、私にその傷を見せながらこう言いました。
「お願いです。私の足を元通りに治してください。日本の皆さんにそう伝えて下さい」
私はうなずくのがやっとで、彼女の足が早く回復に向かうようにと願いながらその傷をなでました。
少女たちに別れを告げると一目散に外へ出ました。突然、こらえていたものが溢れ出てきました。それは「彼女たちが可哀想だ」などという同情の涙ではありません。少女たちがこのような状況で生活しているのを目の当たりにしても、助けを求められても、私は何もしてあげることができない。早く元気になってね・・・・・としか伝えられない。どうしてあげることもできない自分は無力だ・・・・・。そう、痛感しました。
ガツンと殴られたような気持でした・・・・・。
重い気持ちのまま、車に乗り込むと、帽子をかぶった少年が車の外で手を振っていました。まるで“元気を出して!”と言ってくれているようでした。彼の笑顔を写真におさめると、車は次の目的地へと向けて出発しました。