Smile Please 募金のお礼、日本赤十字訪問レポート
2011.04.05●東日本大震災
まずは、この大震災の影響と不安が降りしきる中
募金に大変たくさんの方々にご協力頂きましたこと、御礼申し上げます。
またマルグリット東京公演に足をお運び頂きましたお客様へ心より感謝申し上げます。
募金の際、目が合う一人一人のみなさんが優しい笑顔と共に
キャストと私へ「 頑張って下さい!来てよかったです!」と声をかけて下さり、
逆にエネルギーを頂き、毎回毎回、感動しておりました。
そして、大勢賛同してくれた仲間たち、賛同を快諾して頂きました事務所及び関係者の皆様方、スマイル・プリーズを取り上げて頂きましたマスコミ各位の皆様方、そして事務局スタッフ、すべてに深く敬愛の気持ちを送りたいと思います。
本当に、ほんとうに、ありがとうございました。
長い芸能生活の中でこれほど心深くにまで激震が走ったことはありません。
これほど心身ともに自身の限界を超越させるような出来事に出会ったこともありません。
一生、忘れることのない宿命の舞台となりました。
紆余曲折を経て無事、幕を開け、夢中で駆け抜け、大感動のうちに東京公演千秋楽を迎えられましたことをここにご報告申し上げます。
「 感謝。 」という言葉の他に今の私の思いを表す言葉が欲しいです。
その熱が醒めやらぬ3月30日。
皆様から頂いた、温かい善意のこもった募金6,300万円をSmile Please第一弾義援金として、日本赤十字社、近衛社長へ確かにお届けして来ました。(詳細及び内訳については30日の記事をご覧ください)
私に託して下さった思いのすべて、誰もが被災地の為に直接何かをしたくとも叶わない、その想いを感じれば、久々に着たスーツのジャケットがずっしりと重く感じられ、幾度となく訪れ、愛着さえ湧いていた日本赤十字社が、より大きく荘厳に見えました。
そしてこの日は、皆様からの義援金をお届けする他に私にはもう一つの役目がありました。
日本赤十字社の広報特使として、皆様にわかりやすく、被災地の実情や赤十字の救護・救援活動・今後の対策などをお伝えして行くという務めを果たすべく災害対策本部や会議にも訪問取材させていただきました。
あまりに未曾有の災害に膨大な情報が交錯し、疑問が疑心に変わり、今一番日本中が一つにならなければならない時であっても、その不安と負なる疑念がフラストレーションとなり、負の方向への暗雲が社会を包みこもうとしています。
だからこそ、広報特使として実際に救援活動された方から見た被災地の切実なるニーズ、悲しい現実だけではなく、赤十字が行っている真摯な活動報告、現地へ飛んでゆきたい多くの方への被害の実態と行動の注意点、そして何より‘皆さんが赤十字に託した善意がちゃんと届いています’ということをお知らせし、安心とは言わないまでも信頼を寄せていただき、復興への更なるご協力を願うということも急務だということになりました。
被災地の実情を知らなければ、真に役に立つ支援は出来ません。
共に救援・復興の為に活動協力して下さるたくさんの仲間たちにも正しい情報共有をしなければなりません。
プロ集団である日本赤十字社が私たちに本来伝えたい事と私たちが赤十字に求めたい事、その想いと想いを出来る限り分かりやすく伝える為のパイプ役として私が2007年に広報特使として起用された意味が、今やっと分かった気がしました。
本会議の内容を受け止め、緊迫感に殺気だった赤十字館内をめぐり、職員の方々の真の声を聞き、日本赤十字のマークと理念「 人間を救うのは、人間です。」を背景に、私が発する言葉は、 TVの映像には映らない不眠不休で救護・救援にあたっている赤十字の皆さんの代弁だという責任を、今一度、深く実感したのでした。
短い時間の中で、マスメディアの皆さんの前では伝えきれなかったことを、長くなりますがここにレポートさせて頂きたいと思います。
まずは、赤十字社のたたずまい自体がすでに被災地への愛と誠意のこもった配慮であったのは言うまでもありません。暖房もつけず、節電により廊下は暗く、エレベーターも必要最低限しか使わない。会議の際でも飲み物ひとつ置かず、本当に必要なものしか使わない徹底体制。
自身の生活の中でしている節約・節制を思うと、まだまだ無駄があることを学ばされます。
災害対策本部会議。
ここでは全国から送られてくる義援金や、すべての情報のコントロールなどを取り扱っているので、震災が起こってからは事あるごとに召集がかかり、交代制とは言えほとんど不眠不休で尽力されていました。
私の口から細かい内容をお伝えすることによりいらぬ混乱が有り得る為、ここで言えることはありませんが少なくとも、TVや報道で見聞きしている被災地情報をはるかに越えた惨状は、赤十字や政府、海外からの救援がどれほどの人員を送り全力を傾けても、まだまだ間にあわない、それほどにこの大震災の被害が甚大だということです。 それに加えて原発による被害は未だ計り知れなく。
取材中も、いくつかの避難所に物資が行き届いたという報告があれば、また新たな場所に救護・救援が必要となる。
二次災害や原発の影響により赤十字でさえ立ち入れない場所にもまだとり残されている方々もおり、健康維持や負傷者救護が救護班の皆さんを含め危機に瀕している地域もあるそうです。
その後、各部署を回ってきましたがそれでも尚、職員の方々誰もが「人間を救うのは人間だ。」という意識高く本当に凄い気迫を感じました。
その現状は、地震発生からこれまで、救護班を福島県、宮城県、岩手県など被災地に400班以上派遣していますが(救護班というのは、通常医師、看護師、運転手、事務管理要員の計6人からなるチームです)赤十字の救護は、完全な自給自足の救護体制なので、連携ロスもなく、迅速に動けています。
窮地に立つと、どうしても大きな力を求めてしまうものですが、その力が集まるまで、その間にも被害は広がり、犠牲者は増大する。
国の人道的事業の補助者ではありながら独立・自主な動きと自給自足を保っているからこそ迅速な対応が出来ています。
救援物資を配布するのにも、迅速、かつ正確さが必需。
給油の問題、交通機能など、すべての情報を独自で調査し尽くしているからこそ、ロスのない配布も行えるということが、状況を書いたメモのついたピンの数を見てよく分かりました。
不足していた毛布、緊急セットなどをはじめ、 肌着、靴下など最も必要とされる救援物資。
その後避難所の皆さんには、アイマスク・枕・毛布・マットレス・靴下・耳栓・スリッパなどが配られ、これにより少しでも快適に生活環境を安定させることで笑顔が戻るように。。。
そんな願いが込められていました。
ここで少し、個人的ですが嬉しいお話がありました。
私の出身地、兵庫県支部の皆さんも阪神淡路の経験を生かし、震災発生から47時間後には三陸海岸の主要都市である釜石市に到着され今も尚、救護活動を続けています。 そして、沿岸部が壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町にも神戸からかけつけた救護班の方々が活動しています。
「阪神淡路の大震災のときは、自分たちがみんなに支えてもらって心強かった。」
「今度は自分たちが恩返しする時なんです。」と。
まさに私自身も同じ思いで、自分に出来る全力をと奔走しています。
関西からもたくさんの義援金はもとより、支援物資、ボランティアの志望があると聞けば、皆も同じ思いなのだと思うと心が温まり涙が溢れます。
勿論、全国からも沢山の精鋭達が被災地に集結し、赤十字飛行隊岡山支隊は岩手県花巻へ注射器やマスクなどの医薬品を空輸。すぐに救護班に物資を手渡し、それと引き換えに現地のニーズを踏まえて帰り、そしてまた日進月歩しながら繰り返される更なる支援物資の空輸は、今後も更に力を増し行われます。
数々の支部や奉仕団の活動でも、炊き出しがどんどん行われるようになりました。
実際、自宅生活者への炊き出しはほとんど実施されていないのが現状で、救援物資の配布も限られていて、ほとんど食べていない方もいたそうです。
そういう方々の為にも、赤十字では自宅生活者への炊き出しも行っているということです。
ですが、全国からの救護班が各地にテントを張って、寝袋を二重にしても寒い中での24時間交代体制。
食事なども被災者優先の為、重労働であっても必要最低限度。
被災者の方々の苦痛やストレスは計り知れないとは思いますが、同じ場所におりながら外で生活し、共に最低限度の配給、そして不眠不休の重労働を成す救護者側の苦悩も計り知れなく、本当に過酷な状況です。
にも関わらず、こんな時のために様々なシュミレーションで訓練をしていたのが、ちゃんと役に立っているんです!大丈夫です!と笑顔でおっしゃる姿を見ていると、なぜこれほどの重労働の中で、ここまでこの高いモチベーションを維持できるのか。。。と、敬服すると同時にその精神さえも訓練されているのではないかと思いました。
ですが、どんなに心の強い人でも、災害によって暮らしのすべてを奪われ守ってきたものさえも奪われれば、心は健全では居られません。救護班とは言え、沢山の人の痛みを受け止め無慈悲な惨状にい続ければ、強靭な精神であっても弱ってしかるべきです。
忘れてはならないのが、「 心のケア 」。この「 心のケア活動 」は、本震災以前のいくつもの大災害の時から、赤十字で特に力を入れている救護活動の一つです。“生きる”ということに無心で命がけになっていた災害直後から時が経てばたつほどに、その苦悩とストレスから心は様々に痛んで行きます。
被災された方々に寄り添い、災害や避難生活により生まれたストレスや不安を和らげ、出来るだけ精神的な病気を引き起こさない様、日本の文化や習慣にのっとった心理的支援プログラムにより「心のケア」班が作られ、その活動を行っています。
健全な心、それこそが被災者の方々自身の復興を早める動機と。
避難所のおばあちゃんが「人生の来し方を話してたんです。生きててよかった、、、」と赤十字の心のケア班の方にとつとつと話している映像を見せてもらいましたが、班の方は、「 手を握りながら話を聞いて、辛い気持ちを受け止め、共感することがとても大事だと思います。」とおっしゃっていました。
本当にそう思います。阪神淡路大震災で、避難所に私がいた時もそうでした。
プライバシーの全くない中、避難所の砂ほこりなどで気管支がやられ、咳き込む人が多く良質の睡眠もとれず、不眠を訴える方もたくさんいる状況。皆がみんな我慢している状況の中では本音も言えず、、、。誰もが静かに心を痛めて行く、、、。
長い避難所生活での心のケアは、これから物凄く大切になってくると思います。
ですが、一概に心のケアと言っても、家族を亡くされた被災者の方々の中には、あまりにもトラウマが大きく心に蓋をしてしまっている方が多くいるのだそうです。そうした方々の心の蓋を不用意に触ることのないよう、長期的で丁寧な本当に意味でのケアが求められています。
本当に大切でありながら、本当に難しいことです。
そして、援助・救助する側の心のケアも必要になってきている現実があります。
宮城県東松島市から帰ってきたばかりというボランティアチームにお話を聞くことができましたが、被害が予想以上に甚大だった地区で、とにかく泥をかき出す作業に追われていたと。 葉も全部はぎ取られた高い木の一番上に衣類がぶら下がっていたり。。。
「 あんなところまで波が押し寄せたんだという恐怖に言葉も出なかった。」
そして、「 ここに奥さんが埋まっているんだ 」と一日じゅうその場に佇み、一緒になって泥を掻き出しても掻き出してもきりがない。その泥を見つめている男性が、奥さんの話をする時の涙ぐんだ目を見ていると、心のケア班が話していた「 援助や救助をする側の心のケアも必要になってきている現実がある 」と言っていたことを思い出しました。
辛く過酷な現場を毎日見つめ、体力、精神力ともに限界にきている救助側の心のケアも忘れてはならないんだと。。。
家族と柔らかに過ごす一日。
舞台のリハーサルに明け暮れる一日。
踊る心怯える心と共にドラマの撮影をする一日。
こうして赤十字を訪れた一日。
どれも一日なのに、この日の私は何日も赤十字でまだ会ったことも見たこともない被災地と被災地の皆さんと、赤十字の活動に従事する皆さんの話しを聞いていたような果てしない気持ちになるほど、長く重い重厚な一日となりました。
赤十字の皆さんから、その「 心のケア 」を共にしましょう、そして被災地の今の姿をしっかり焼き付けて復興の為に何か役に立ちたいと胸を痛めている皆さんへお伝えして下さい、ということなので現地へ行こうと思います。
そして、またこれからの在り方を再考し、このスマイルプリーズをはじめ、“ 私に出来る何か ”を進めて行きたいと思います。
私は、人の笑顔が大好きです。
だからエンターテイメントも、ボランティア活動も続けています。
被災地の皆さんはもとより救援救護にあたられる皆さん、そして、傷つき委縮してしまった日本の皆さん、誰もがまた平和の名のもとに笑顔で幸せになれますようにと切に願いながら。。。。
私の“ 今 ”を邁進しようと思います。